昭和48年 (1973年)
東京芝浦電気株式会社(現在の(株)東芝)の輸出部が音響製品等の海外生産・転売輸出を行いたいので協力できる企業がないかとの話があり、それならばと新規に企業を設立する事にした。商品企画の段階から顧客と一緒に作業し、電気、機構の技術者が主にラジオ、カセットレコーダー等の音響製品を設計し、海外の工場に技術指導して、製品を製造するといった当時としては時代に先駆けた事業を始めた。
事業が軌道に乗り昭和49年5月に設立登記をした。
昭和52年 (1977年)
LED クロックラジオを設計し、韓国雙龍グループ勝利電子で製造。東芝から同じ基板を使い「TOSHIBAブランド」「JC PENEY 」「Radio Shack」の3ブランドへ輸出。
昭和54年 (1979年)
ステレオラジオカセットで上部一枚基板設計を完成。東芝第一輸出部海外調達部から東芝販売。現地法人に輸出され非常に低コスト・高性能で、多くの数量を輸出することが出来た。韓国雙龍グループ勝利電子で「RT-2140S」を製造。この設計は後に、東芝音響事業部100Sシリーズのお手本となった。
昭和57年 (1982年)
東芝の輸出部の転売が廃止され、音響事業部に事業統括された。音響事業部と取引をしながら、他のOEMビジネスを行う事にしてGeneral Electric社(現Thomson社)及びRadio Shack社などへの直接輸出をスタートさせる。当社は小さくとも相手は世界的大企業。同じPCBを使って「GENERAL ELECTRIC 7-2955A,」「RARIO SHACK 12-781」「TOSHIBA RP-F5」の3つの著名ブランドのマルチバンドラジオを製造した事は当時の語り草となっていた。
昭和58年 (1983年)
世界に先駆け、薄型12.5MM厚ポケットヘッドセットラジオ「GE Marquir collectionⅠ・Ⅱ・Ⅲ」の3機種を受注。「7-1110A」「7-1250A」「7-1750A」百万台突破。これを模倣して薄型ラジオが一般的になって来た。
昭和59年 (1984年)
薄型ポケットがGE等で培われた技術でエコノミーな設計が出来て「東芝RP-20」が50万台以上のヒットモデルとなった。昭和60年 (1985年)
「Radio Shack 12-120」スタート。「GE 7-1750A」の流れをくむ本機種は韓国から中国生産へと続くロングランモデルとなり、数百万台のヒットとなって12-136にうけつがれた。
昭和60年 (1985年)
General Electric社向けに「グライコ付き3-5435A小型カセットプレイヤー」を開発し、韓国勝利電子で製造。「東芝モノラジカセRTF35」国内に輸入販売好調。
昭和61年 (1986年)
東芝の半導体が開発した「1.5V IC」の初期ユーザーの1軒となり単4電池1個で働くステレオヘッドセットラジオを開発。Radio Shack社に「ロングランモデル12-128」を販売開始。ミリオンモデルとなる。
General Electric社「小型 Cassette 3-5437A」好評の第二弾発売。
昭和61年 (1986年)
米国AT&Tグループの1社「New York Telephone Company」が翌年の世界障害者年を目標にした、障害者と老人の為の無線電話機器を開発。量産準備をし、オリンパス製の「Microcassetteメカ」等の準備迄したが、残念ながら性能が必要なころまで達せずに断念してしまった。
当社創業以来の失敗事業。以降の大きな反省材料となる。
昭和62年 (1987年)
General Electric社向けに「大型Dual Cassette Recorder 3-5633B」を開発し、韓国で製造。平成元年 (1989年)
従来韓国での生産を中心にして来たが、情勢の変化で韓国が製造国として向かなくなって来たので、中国生産中心に。香港の時興実業有限公司(UP-TODAY)と業務提携を開始した。
平成元年 (1989年)
三菱商事・東芝ラインでイラクにラジオのCKDキット輸出開始。香港UP-TODAYで部材集荷、ミサイル工場の隣で組み立て。技術指導等に滞在。
エジプトエルアラビ社にも東芝よりキット輸出。技術指導の合間にピラミッド、スフインクス等へ。
平成3年 (1991年)
JTBのオーストラリア現地法人(T.P.Oceania Pty Limited)社に博物館、美術館、動物園等で使用する「TOUR TALK TT-101型自動ナレーション装置用受信機」を開発し、輸出を開始した。平成5年 (1993年)
Radio Shack社にロングランモデル7年間で100万台以上の短波受信機の開発完了。単2乾電池2本でデジタルチュニングの「Radio Shack 20-212 DX375」。当時の短波受信機の世界の銘機と言っても過言ではなかった。平成10年 (1998年)
「業務用DVD PLAYER SD-B100」の実機設計を行い、DVD初の中国生産を行う。東芝から日本国内に販売され高品質の定評を博した。民生用のDVD PLAYER, 2枚~3枚CHANGER MODELも製造しDVD PLAYERの中国生産の先鞭を付けた。これ以降、中国生産が一般的になった。
平成11年 (1999年)
「20-223 Radio Shack Portable SSB付き通信型受信機」を受注。開発完了したが、量産間近に時間が掛かり過ぎてしまい、残念ながらキャンセルとなってしまった。やむを得ず撤退。
平成12年 (2000年)
「超高音質デジタルヘッドセットラジオ12-932 Radio Shack」を開発。10年以上のロングランモデルとなった。平成16年 (2004年)
デジタルオーデイオプレイヤー「TOSHIBA GIGABEAT」の海外向け生産を担当。国内向けは東芝が国内生産を行なったが筐体部品を中国から日本に供給。
平成16年 (2004年)
プロジェクターの機構外観部品を中国で生産して、日本に輸入を開始した。以降、プロジェクター自体中国製造になり、中国納入を行った。
平成17年 (2005年)
32年間動かなかった高輪4丁目のビルがアスベストで取り壊しとなり、歩いて10分の白金台2丁目に移転した。電話番号等は変わらず、綺麗な場所になった。平成19年 (2007年)
Radio Shack社に音と香りでリラックスする「Sleep Machine」を輸出。平成20年 (2008年)
Radio Shack社に、光が加わった「Sleep Machine2」を輸出。好評。平成21年 (2009年)
日本国無向け「CD RADIO」「CD RADIO CASSETTE」等を東芝の関連会社に納入開始。平成25年(2013年)
ポータブルCD関連商品の乱戦を嫌い、セットビジネスから撤退しました。Up-Today社と共に高品質Headphoneを開発しました。
日本国内に東芝エル・イート・レーデイング社からRZE-S70 RZE-S60として販売開始
東芝ブランドの初HEADPHONEとして高性能が業界から注目を浴びる。
平成26年(2014年) 3月
CDモデル等からの撤退により、事業縮小となり、事務所を白金台から設立当時にいた高輪4丁目に移転しました。歩ける距離で、電話番号等変わらず。
東芝ブランドHEADPHIONEの新機種RZE-D50, RZE-D40を機種を追加しました。
平成27年(2015年)
顧客東芝の家電ビジネス縮小に対して納入業者として打つ手が見当たらない。平成28年(2016年)
東芝の利益架空計上の発覚によって、東芝がガタガタになってしまいました。家電ビジネスを中国企業に売却となり、事業の再度の縮小が必要となった。